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2013年8月 6日 (火)

八月の風景(田んぼ日記)

ようやく稲の花が咲きました。

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 母の話によると、稲の実が太るためには3ヶ月は必要で、7月中に花が咲かないと収量が望めず、盆までに花が咲かなかった場合は実にならないそうです。
 それでも、最近は霜が降りるのが遅くなり、10月に入ってから降りるようになったので、まだ結構採れるんじゃないかといっていました。昔は、9月15日には霜が降りたものだそうです。
 
 今年は、ここや八幡高原のほうなども花が咲くのが遅く、皆心配していたようです。
 いまからでも、暑い日々が長く続けば、いいですね。
 とはいえ、日差しは痛いほどでも、風はだいぶ涼しく吹き渡っています。







今日は、8月6日。
八月六日午前八時十五分。広島
八月九日午前十一時二分。長崎
この時間を正確に答えることの出来ない人が増えていると聞く。
自分は、広島市に生まれ育ち、長崎県出身の両親を持つ。
曽祖父は長崎の原爆で亡くなり、入市被爆した祖母は、被爆者手帳を持っていた。
見浦の父は、前日まで学徒動員で広島にいた。
小学校の頃の先生には、自身が被爆体験をされた方が何人もいた。
近所の方で、きのこ雲を見た人、逃れてきた人を介抱した人、入市被爆した人、ご本人、ご遺族。
夏休みには、そんな方々の経験談を聞くのが当たり前だった。
広島に生まれ育つと、当たり前のように思って接していた日常だ。
それが、県外の人には当たり前でなかったことをしったときは驚いた。
戦争経験をした人は多くいたのだろうが、空襲にあった経験を持つ人も多くいたのだろうが、経験談を聞く機会はなかった。
耳をふさいでいたのとは違うだろうけど。
ヒロシマだけが、ナガサキだけが、特別じゃない。
けど、大きなきっかけで節目であることは間違いない。
最近は、劣化ウラン弾も核兵器に入れるべきじゃないかと思う。
原発と 核兵器が同じだと、私には言えないのだけど、
核兵器廃絶と、平和を祈る。ただ、祈る。

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日記・コラム・つぶやき」カテゴリの記事

コメント

ちょっと話の趣旨がずれるかもしれませんけど…


具体例は挙げませんけど、
普段に生活の中で不都合があると、
すぐ、法を作って管理しようとしたり、
「国が悪い」とか「企業が悪い」とか「説明文が悪い」とか、


確かにそうかもしれんけど、
もっと、みんな、自分の責任も
考えないといかんのと違う?って
思うことがあります。

誰かのせいだ!自分は悪くない!
悪いのは国だ!企業だ!って言うのは簡単だけど。


「平和」もそうなんじゃない?
平和は与えてもらえるものじゃないよね。
「平和じゃないのは誰かのせい」って言ってて済む
問題じゃないよね。

もっともっと、みんな、ちゃんと
自分のこととして
考えなければならないと思う。

長々すみませんでした。

小さくて白いのが稲の花ですか?
八十八と書いて「米」。
日本人の主食なのに、お米を作るのにどれだけの手間が掛かるか私を含め、今の日本人は知らなさすぎる。

私の母方の伯母も広島で被爆しました。
幸い癌など病気は発症していませんが、若い頃はお嫁に行けないと思い詰めたこともあったそうです。
私個人の意見ですが、劣化ウラン弾は立派な核兵器です。
核兵器は、投下式の爆弾やミサイルだけではないと思います。

イラクに劣化ウラン弾で破壊された戦車がありました。
今、その戦車は撤去されたのかどうか分かりませんが、残骸となった戦車で遊ぶ子供達がいました。
その戦車は放射能を出し、戦車の周りの不発弾からは放射能が漏れて土壌を汚染しています。
規模が大きいか小さいかの違いで、核の被害は確実に広がっていると考えます。
兵器だけではなく、原子力発電も何時、驚異となるか分かりません。

稲、きれいにピンと立っていて、
元気そうに見えますが、そんなおはなしがあるんですね。 
秋には、そんなみなさんの心配が、どこ吹く風と、
豊作になることをお祈りして止みません。

そうでした。
今日は、原爆の日でしたね。
恥ずかしながら、投下時刻は全然覚えてなかったです。
申し訳ありません。

68年の時が過ぎたんですね。
おそらくですが、北方領土、北方四島も全部言える人、
減っているんではないですかね。

終戦記念日も 覚えてない人 どれくらいかわかんないけど、たくさんいますよきっと。

日付を覚えていないから、平和を愛していないということにはならないと思いますが、
それぞれの思いの強さを表すバロメーターであるかも知れませんね。
 
わたくしも 
何が出来るわけではありませんが、
核兵器はもとより、戦争のない
世界平和を望んでいます。

>かつて戦闘機乗りになりたかった匿名希望さん
 そうですね。
 日々の平和は、じぶんの手で、日々築きあげていくものじゃないかと思います。
 小さいことから一つ一つ。
 うそをつかない、人をだまさない、手を上げない、自分と違う意見を聞き入れる、許せないと思うラインを下げてみる 等々。
 
 そこからはじまって、手が届く範囲から、平和を広げていくしかないんじゃないかと思います。
 それも、祈りの形だと思って、日々勤めます。

 
 

>ハリーおじさん

 コメ作りから離れた人が多くなりましたからね。
 かく言う私や主人も、田んぼは作ってないので、ぜんぜんわかっておりません
 隣のおじさんの田んぼを見ながら、あーだこーだと季節を感じております。
 
 
 自分は、戦後25年目に生まれました。
 戦後の埋立地で生まれ育ちましたが、市内のそこここには、放射線の影響の残っているところもあったかもしれません。
 怖さを知らずにいたのか、怖さを知って尚、そこに住み続けることを選んでいたのかはともかくとして、人が住み続けたからこそ、今の広島・長崎があるのだと思います。

>mitoさん
 ♪今ー年も豊年 満作でー きょーうはめでたい御ー祭り日ー

と、いきたいものですね
 
 
 広島・長崎・真珠湾・終戦。
 多分、各地にある空襲のあった日。
 そういうことがあったことは覚えていても、日付までは覚えていない。
 それも、平和の一つの形なんだろうな・と思います。

 何もかも受け入れて、日常に、当たり前にしてしまうのが、日本式平和の作り方なのかもしれませんね

引っ越してきた時 子どもの学校では当たり前のように
原爆の話があり、登校日があり・・・え~っておもいました。
TVではどのチャンネルもずっと平和記念式典でびっくりしました。

先日原爆ドームと資料館にいきました。
頭のに片隅に8月6日はあってその前後には行くようにしています。

ブログにコメントいただいたアールグレイさんでよろしいでしょうか?f^^;
西広島の稲の開花は早いんですね。
こっちの開花はお彼岸くらいで今はまだ水田で葉がたなびいています。

 先日ご一緒したご婦人が戦争が終わって68年たちますが、
何も知らない13才の少女は、出征して行く若い兵隊さんたちを心無い言葉で
送り出したのがいまだに悔やまれるとおっしゃっていました。
奇しくも8月6日名古屋上空に来たエノラゲイは目標の確認がしにくかったという理由で
広島に進路をとったと聞きます。
だから、名古屋と広島は無縁ではないのですよ。
毎年この時期になると西に向かい黙祷をささげるようにしています。

>ななしさん
 コメントありがとうございました。
 広島では、たぶん長崎でも、これがずっと当たり前のことです。
 少し前は、行政も休みの日でした。
 
 
 
>ベラカバンバさん
 ご訪問ありがとうございます。
 はい。お伺いいたしました^^
  
 あの時代に、いろいろな思いを残されている方は大勢いますね。
 偶然を生き抜いた方も、悔いを残された方も。
 その全ては難しくても、忘れず、残して生きたいものです。

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